Kid's Guitar 木戸氏の回顧録

 

2012年10月 最初は当サイトへ「木戸宏」を名乗る人物からの投稿が始まりでした。

ご本人かどうか探るべく私の質問に、その人物はとても誠実に対応してくれました。

 

木戸さんは、現在は片眼の視力がかなり低下されているとのことで、ご自身が打った文章を校正するのもままならない中で、過去を思い出しながら長くて丁寧な文章をWordで下さいました。

 

木戸さんからは「文章は自由に使って頂いて結構です」と許可を頂きましたが、木戸さんの回顧録の中の一部で、公開しないほうが良いような裏話やエピソードがありましたので、私の判断で一部編集してお伝えいたします。

 

なお、本当にKidS Guitar代表の木戸宏氏かどうか実際にお会いして確かめたわけではありません。しかし、誠実なご対応、全てを裏付けるようなお話の内容、そして視力が低下されているため文字変換も苦労されている様子が伺え、まぎれもなく木戸氏であると確信しています。

 

 

 

木戸氏の回顧録より編集

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1993年11月 ブライアン・メイ・バンドの東京ベイNKホール公演の際、木戸さんはハードケースに入ったドラゴンインレイのBM50をブライアンに渡すために赤坂のホテルにいました。

 

当然アポもなく「ブラアンさんをお願いします」とフロント伝えたところ門前払いの状態に。

仕方なくロビーに座っていたら、いかにもローディー風のバンド関係者と思われる男が通ったので、「ブライアンにギターを持ってきた」とケースを開けてみせると、彼は「ちょっと待ってな」と言って10分後に戻って来ました。

 

そのローディー風の男が 「今ブライアンは忙しい」  と言うので木戸さんは
「じゃ、これ渡しといて下さい」  とギターを彼に預けて帰りました。

 

木戸さんは「あのローディー風の男はブライアンに渡さずに自分のものにしてしまうかも・・・」と思いながらあきらめ気味で帰路についたそうです。しかしそのローディー風の男とは、なんと故コージー・パウエルであったことは木戸さんは後から知ったそうで、一瞬でも疑ったことでコージーに申し訳ないことをしたと内心を明かしてくれました。


その2日後、NKホールのリハーサルの間、舞台袖での10分くらいの短い時間、木戸さんはブライアンから「昨日一晩中あのギター(BM50)を弾いていたので今日は寝不足だよ」と声をかけられとても感激したそうです。また、レッドスペシャルのブリッジの高さ調節がうまくいかずボール紙をスペーサーにしているといった会話も交わされたとのこと。


その年のクリスマスに木戸さんのもとに、ブライアンからクリスマスカードやサイン入りコイン・Tシャツなどと一緒にBM50を弾いている写真のポジが届き、「この写真は自由に使って下さい」と書いてあったそうです(画像下)。
木戸さんはそのお礼にと、BMのWネックを制作し送りましたが、搬送途中に不運にも行方不明になってしまいました。

 

 

 

その出来事の以前から、木戸さんはBMモデルをはじめ色々な優れたレプリカギターを制作していました。

 

BMモデルの1本目は某有名楽器店のオーダーでした。そのアイデア性の高さゆえ、木戸さんにギターを発注した某有名楽器店から木戸さんのBMモデルのアイデアをめぐって不当な扱いを受けたそうです。

 

また、その楽器店のために制作した別の某有名ギタリストのコピーモデルを、たまたま来日していたイングウェイ・マルムスティーンが偶然来店して購入し持ち帰り、帰国してからその某有名ギタリスト本人に自慢するために見せたところ、不運にもその完成度の高さ故に本人と権利関係でトラブルとなり訴訟に発展するなど、随分と苦労されたようです。


そのため、BM50についてはスケールを変え、トップはメイプル、バックはレッドウッド、そしてゴールドパーツ、PUはエボニーエスカッションにビスで上下調整可能、配線はパラレル、ボディサイズも一回り大きくするなど、あえてレッドスペシャルとは違いを持たせて制作したそうです。


そのような経験もあり、コピーギターを容認するかのようなブライアンの人柄にふれて、木戸さんのブライアンに対する印象は「とてもおおらかで気持ちの良い方でした」と記してありました。

 

 

そしてその後、ご自身の私利・私欲よりも、純粋に最高のものを追求し続けた創作者・技術者としての木戸さんは、次第に営利目的の大手楽器店との狭間で苦しむようになります。

 

精神的・肉体的にも苦労された木戸さんは、ついに1999年にkid’s Guitarの営業に幕を降ろすことになります。

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木戸氏制作のBM50ドラゴンをスタジオで弾くブライアン (ブライアンから木戸氏に贈られた写真) 転用・転載禁止
木戸氏制作のBM50ドラゴンをスタジオで弾くブライアン (ブライアンから木戸氏に贈られた写真) 転用・転載禁止

 

 

■ブライアンとの対面  --木戸氏が見たレッドスペシャルのボディ構造の真実--

 

木戸氏はブライアンとの10分程度の短い立ち話の中で、ブライアンがトレモロカバーを開けて内部を見せてくれた際の事実を教えて下さいました。

 

特に、本体が1ピースのソリッドではなく、また一般的な2ピースや3ピースというようなものでもなかったことは新たな事実です。

 

ここで興味深いのは、木戸さんは特に熱狂的なブライアンフリークであったわけではないので、ファンのコピービルダーにありがちな予備情報や先入観が全く無く、きわめて客観的に観察されていたということです(そもそも暖炉の木を使用ということ自体すら懐疑的だったようです)。

 

以下、木戸氏からの手記を、ほぼ原文のまま紹介致します。

 

 

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本人のギターを見せてもらったときトレモロの構造が知りたくて、黒いカバーを開けてもらった時、木材の秘密を知ってしまいました。ソリッドの板ではなく、中は角材をいくつもつなぎ合わせてあり、表面に裏表とも1mm程度のマホが貼ってある構造でした。


もしかして暖炉の木というのは本当であるかもしれません。通常熱が高い所には単板は使用しません。ちなみに、トヨタの内装のウッドパネルのサンプルを制作したことがありますが、車内温度が夏場80度以上になるため、8層構造で真中はアルミの板もありましたよ。

 

ただ、トレモロシステムは、一目見て再現は難しいと思い、メンテナンスも考えて独自のものにしたのです。しかし弱小メーカーのKID’sには、資金力も無かったので真鍮(ブラス)に塊から切り出し加工して手造りしていました。なので初期BMから3度ほど特にブリッジは形が違います。結構努力していたんですよ。ついでに書くと、後期のBMのボディは、マホガニーの55mm板を10mmほど切り取り、厚いほうにセミホロウの座繰りを入れ、再び同じマホを5mmにして重ね合わせてあります。自分でもやりすぎとは思いましたが、そのことをウリにしてもよかったかな?知っている人はいないと思いますが。

 

 

 

コンサートの後、ギターについて話しましょう、とブライアンと約束してあったので、レセプションというのでしょうか、当時内外問わずミュージシャンはコンサートの後関係者が集まって、軽く飲食のパーティーみたいなのをよくやってました。


そこで、奥さんか、マネージャーの女性から名刺をいただき、ブライアンとの会話をセッティングしてもらい、KID’SのBMの感想などきいて本人のギターについてより詳しく聞こうとした時、ある女性(注:日本の元アイドル歌手で以前にブライアンが彼女のアルバムで共演した本〇美奈〇  現在は故人)がさっそうと現れブライアンにしがみついて、別室へ消えていったのです。部屋を出るときブライアンがこちらを見てすまなそうに目を向けたのを覚えています。故人のことを悪く言いたくはありませんが、彼女の横柄な態度は、あと後まで許せませんでした。

 

実は東京にいるとき、ESPの時代からいやその前の春日楽器時代から、ミュージシャン担当の楽器職人だったので、いろんなかたに接してきましたが、芸能界の人をほとんど好きななれませんでした。そうそう、後に対面するトムピーターソンも春日楽器の時、彼らに2,3本のギターを作ったのですよ。当時は無名の社員だったので、彼らは覚えていませんでした。トムがその後別のバンドメンバーとして来日した時8弦ベースをKID’Sの工場で手渡し、昔のことを尋ねましたが覚えていませんでしたね。

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■木戸氏が語るKID'S の創業から営業終了の思い出について

 

以下はKID'S時代を振り返った木戸氏の手記を、ほぼ原文のまま紹介致します。

 

 

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そもそも私がギターを作り始めたきっかけは、住んでいた長崎にはフェンダーや、ギブソンのモデルは売ってなかったし、高くて買えなかったからです。高2のときSGを初めて作り、弟にほめられていい気になって、LP(フラット)、SE,SGWネックなんかつくっていました。当時フレットは針金だったので、福岡のヤマハで、売ってるのを知った時はうれしかったな。ストラトはPUも自作でした。


みなさんのように、今でもいろんな人が自作しているのを見て、いい時代になったなーと感慨にふけっております。できればもっと、深く追求してくれる人が増えるといいなと思っております。平均律と自然律の違いとか、木材接着の科学とか、フレット割の数式とか、PUの電磁誘導の追求とか。いまでもナイフの砥ぎだけはだれにも負けなかったと思っています。メイプルの堅い木がバルサのように削れた時のうれしさ、懐かしいです。ドラゴンインレイも一人で南洋白蝶貝を糸ノコで切り出し黒檀に埋め込んで作ったものです。やればできるもんです。商売になるかどうかは別ですけどね。

 

 

当時、KID'Sには5人ほど部下がいましたが、特にBMは塗装以外すべて一人でやっていました。
すべてを自分でやる、これを目標にしてました。

 

どんなメーカーでも、ボディはここ、ネックはここ、と下請けがあって。特にビルダーと言われているひとはほとんど組み立てだけの仕事で、それが許せなかったですね。

電装パーツとフレット、ペグもできれば自作したかったですねー。

そうそう1号機はケースも木製で自作でした。
KID’Sがだめになった原因の一つでしょう。


でも楽しかったですよ。

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・・・・続く・・・・

 

 



 

以上は、木戸さんから数回に渡って頂いた文章の中から、一部は私がつなげて編集しました。

 

メールのやり取りの印象からは、木戸さんはブライアンやクイーンの熱狂的なファンというわけではなく、ハンドメイドギターであるレッドスペシャルそのものに強い関心を持ってからコピー制作が始まったようです。

 

レッドスペシャルファンとしては、木戸さんをそっとしておいてあげたいですが、気力・体力とも充実した木戸さんの、アレンジとアイデア満載の最高のレッドスペシャル関連の作品を見てみたい気もします。

 

本物に近づける目的の従来のビルダー作品とは一線を画し、きっと世界一独創的で完成度の高いものができると確信してやみません。 レコーディングスタジオにBM50ドラゴンを持ち込んで弾いているブライアンの写真(画像上)からは、他のどのビルダーの単なるコピー品を手にした写真よりも、心の底から嬉しそうに見えると思いませんか?

希少なKID'S BM-Special 初期型  V/Tノブは市販の汎用パーツ (木戸氏所有の写真より) 転用・転載禁止
希少なKID'S BM-Special 初期型  V/Tノブは市販の汎用パーツ (木戸氏所有の写真より) 転用・転載禁止